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罪の重さ


例えば、あなたの大切な人がひどく傷つけられたり、命を奪われたら。
その加害者が、少年と呼ばれる年齢だったとしたら。
あなたはそれを「少年だから」という理由で許すことができますか?


市民と裁判官を対象に実施した量刑意識に関するアンケートが実施された。
90%以上の裁判官が少年事件の量刑を「軽くする」と答えた一方、
市民は約50%が「どちらでもない」、25.4%が「重く」を選択した。
裁判官の"法律に則った常識"が、いかに世間ズレしているかを如実に表す結果となったと言えよう。


そもそも日本の刑法は、加害者の人権と更生を重視してつくられている。
また、性善説という思い込みのもとに成り立っているものだとも見て取れる。

それぞれの犯罪に対する量刑(○年以上の懲役、または○万円以下の罰金)が軽すぎると思ったことはないだろうか。あれは罰を与える事を目的としているのではなく、加害者に反省を促し更生させることが目的だからである。


例えば、殺人事件の時効は15年。
イギリスなど、国によっては"時効"が存在しないこともあるのに、日本の刑法には何故"時効"があるのだろう。
これは、大昔の事件までいつまでも手掛けていられないというお役所的な側面もあるだろうが、「15年もの間、加害者も苦しんだのだから罪を償ったも同然」という考えから設定された期限だと思われる。しかし逆に言えば「15年逃げ切ってしまえばチャラになる」ということだ。

逃亡生活なのだから、ひとつ所にいられない事の不便さ、下手に人前に出られなかったりアシがつくような事はできないという窮屈さはあるだろうが、それを苦に思わない者――更に言ってしまえば鬼ゴッコのようなゲーム感覚で楽しんでしまえる者だっているかもしれない。
"時効"は、加害者が辛い思いをしなければその意味を成さないのだ。

一方で、被害者やその家族の感情は無視される。
犯人が捕まれば、気持ちの区切りをつけることもできるかもしれないが、時効などと言って逃げ切られてしまえば、一生苦しむことになりかねない。


そんな"加害者重視"の法律の集大成とも言えるのが、"少年法"だと私は思う。
被害者がどれだけ苦しみ嘆こうとも、加害者が未成年というだけで減刑される。
これも恐らく「まだ年若い加害者にはおしなべて更生の余地がある」という思い込みから成り立っているのだろう。

しかし、減刑することが、加害少年の更生に対して何の意味をなすだろうか。
少年たちの罪悪感を薄れさせ、却って少年犯罪を助長していないだろうか。

もし、窃盗などを繰り返し行う少年たちに「まだ未成年だから捕まっても大した罪にはならない」という打算がないと思う人がいたら、その人はよっぽどのお人好しか、想像力が絶望的なまでに欠如している。
自発的に罪を犯す少年たちは、大人が思うほど単純でもなければ馬鹿でもない。


かの有名なコンクリ殺人の加害少年は、出所後に暴行事件で逮捕された。
母子殺害事件(婦女暴行殺人)を犯した加害少年の獄中からの手紙には、未だ反省の色は窺えない。

いい加減に目を覚ませ。
そんな少年たちに必要なのは、早々に社会復帰させることではない。
最も重要なのは、その年齢に関わらず自らが犯した罪の重さを認識し、被害者に対する謝罪と己の行いを悔やむ心を持てるように導くことだ。

本当の「罰」は、懲役や禁固、罰金そのものではない。
己の罪を自覚し悔やみ、どんなに苦しくても一生それを背負って生きる事だ。
それができて初めて「罰」になる。
一方、減刑するということは、結果として彼らを法の管理下に置き指導する期間を、より短くすることに繋がる。
「罪の意識」を持たない少年たちに、短期間でそれらを自覚させる事は可能か?



冒頭の問いに対する私の答えは「否」だ。

罪の重さそれ自体には、加害者の年齢は関係ないのだから。






「少年は重い刑に」が25% 最高裁司法研修所が調査
 [ 03月15日 17時19分 ] 共同通信

 殺人事件の被告が少年だった場合、市民の4人に1人が「成人よりも刑を重くするべきだ」と考えている-。最高裁の司法研修所は15日、市民と裁判官を対象に実施した量刑意識に関するアンケート結果を発表、両者に大きな隔たりがあることが明らかになった。
 調査は2009年春までに導入される裁判員制度に向け、量刑の「市民感覚」を探るため実施。全国8都市の市民1000人と刑事裁判官766人が対象となった。
 殺人事件を素材とし、39の量刑ポイントについて意見を聞いたところ、違いがはっきり分かれたのは少年事件。裁判官は「軽くする」が90%を超え「重く」はゼロだったが、市民は約半数が「どちらでもない」を、25・4%もの人が「重く」を選択した。将来の更生のため刑を軽くするなどの配慮がある少年法を前提とした「裁判官の常識」が通用しないことが浮き彫りになった。

ざぶとん一枚。→

  by RX-Kei | 2006-03-16 01:11 | News | TOP▲

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